大阪市福島区で側弯症・肩こり・首こり・頭痛なら整体院「新福島整体 けんこう堂」へどうぞ
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厚生労働大臣認可指定 中山式自然整体普及会
1996年 厚生労働大臣認可養成校 日本整体学院 (中山整体療院) にて
2年半の臨床経験を積む
1999年 大阪市福島区にて『新福島整体 けんこう堂』 を開業
2006年 アカデミーボディースクール 達人コースに参加
2007年 リセット療法の講師として、全国セミナー指導を行う
2008年 達人会副会長 就任
2009年 関西達人会会長 就任
〃 アソシエイツメソッド に参加
2010年 達人会を離れる
〃 p&kライセンス取得
2012年 長年の施術現場での経験を結集し独自の施術法を体系化する
〃 週に1回の出張整体を開始
2013年 呼吸法を取り入れたけんこう堂体操を考案
はじめまして。
新福島整体 けんこう堂 内倉健作と申します。
日々施術で人とお話しをさせていただいておりますので、皆様は私が人と話をするのが好きなのだと思っておられるかもしれません。でも実は、私は人前に出たり人と話したりするのがとても緊張してしまうのです。
人見知りをしてしまうので、初診で来院された方の中には私を怖い人と感じてしまう人もおられたと思います。
これから、少し長くなりますが私のプロフィールとして書いていますので、どんな人が施術をしているのか不安だという気持ちを少しでも和らげることが出来たらと思います。
1967年10月28日 兵庫県尼崎市に生まれる。
股関節の脱臼と斜頸という顔が右を向いたままの症状を持って生まれてきました。体も小さく、心配した父親が「健康を自分で作っていけるように」という意味で『健作』と名付けたそうです。
健作という名前は整体師となった今では、「整体師用の名前ですか?」なんて聞かれるくらい整体師にピッタリの名前で自分でもビックリしています。両親に感謝です。
中学校の1年生までは背も低く(背の順で並ぶと前から5番目くらい)、よく熱を出してとても体が弱かったのですが、中学2年生の途中から突然背が伸び始め、体もだんだん丈夫になっていきました。147㎝で中学校に入学して、177㎝で卒業し、現在は183㎝です。大きく育ちました。
この頃の体の状態は
小学校の遠足など少し長い距離を歩くような時には必ず右の股関節が痛くなって、とても疲れやすくてすぐに頭痛をおこしていました。中学・高校時代は頭痛が辛くて、物事に集中できなかった思い出があります。
高校(工業高校 機械科) を卒業後、自動車整備の会社で整備士として働き始めバブル期真っ只中だった当時、毎日夜の11時頃まで働いていました。時には日付が変わってから帰宅することもありました。
当時のことは懐かしい思い出ですが、朝から晩まで本当に辛くて二度と戻りたくない苦しい時期でもあります。(苦笑)
その後、トラックの運転手や中央卸売市場の荷降ろし作業などいろんな仕事を28歳頃までやっていました。
時期を同じくして、高校時代の親友と婦人靴縫製の下請けの仕事をしていました。そんなある日、あの阪神大震災があったんです。日本の靴製造の中心地のひとつが神戸の長田で、震災時最も被害の大きかった地域でした。私達は幸い尼崎市に作業場がありましたので、被害はなく私達以外の同業者さんが仕事ができない状態だったので私達に仕事が集まるようになりました。
心境は複雑でしたが、それなりに順調だった仕事もその1年後突然、相棒だった親友の事故死で大きく私の人生観が変わりました。
仕事の方針など全て親友が決めてくれていて、自分はただついて行くだけ。親友をなくしてはじめて『自分で考え、選択し行動する。』という当たり前なことが自分にできていないことを痛感させられました。
そして“生きる”ということを生まれてはじめて考えた時期でもありました。
この頃の体の状態は
19歳~28歳の10年、毎日が肩こりで2~3日に1度はヒドイ頭痛に襲われていて、仕事も月に1度以上は頭痛で休んで会社の人からは「ズル休み」していると思われていました。
今思えばこの時期が、体調も何もかも全てが辛かったように思います
その親友との別れの後、全ての仕事を辞めて3ヶ月間悶々とした生活をしておりました。そんな私の姿を見かねた友人がある日声をかけてくれました。
実は私、学生時代から自分の手や足の指の関節をポキポキ鳴らすのがクセでいつもポキポキ鳴らしていました。また自分の指だけでは収まらず、他人の指の関節を鳴らすのも好きで、嫌がる友人を捕まえてはポキポキやっていたんです。
その頃を知っている友人から、「おまえ、他人の関節を鳴らすのが上手いやろ。整体師とかになったらいいんちゃう。」 ・・・「整体師」・・・「!」ピカーンと頭の中で電気が光った感じでした。そんな些細な一言が私の整体師人生のきっかけを作ってくれたんです。友人ありがとう。
早速、本屋で2,3冊ほど鍼灸師や柔道整復師になるための参考書を買いに行き、たまたまついでにもう1冊取った本が、その後私の整体の師匠になる中山建三先生の本でした。家に帰り一気にその本を読んだ30分後には、神奈川の師匠の整体院を見学させてもらうために電話をしていました。
28歳から2年半の間、神奈川県大和市の中山整体療院で住み込みで勉強をさせていただきました。時代は平成になっていましたが、昭和な修行生活をガッツリ経験させていただきました。
私の今のヘアースタイル?坊主頭もこの時期(30歳)からでして、少ないお小遣いからでは散髪代が食費に化けてしまって、やむなく仲間内でバリカンで丸坊主のやり合いをしたのが始まりです。
お陰様で今では散髪代くらいは残るようになり、ヘアースタイルを変えようと思えば変えることも出来るのですが、今後も全くヘアースタイルを変えるつもりはありません。
この頃の体の状態は
整体の勉強をすることになった初日、中山建三先生に施術をしてもらった時に、首の状態がヒドく悪いことと、この状態だったら今までどんなに辛かったかをドンピシャに言い当てられました。
施術でもとても楽になりましたが、自分の辛さを分かってもらえる先生と出会えたことと「治るから、大丈夫だよ!」と言ってもらえたことでとても安心したことを今でも覚えています。
その後、時々施術をしていただきながら自分でも自分の症状を治そうと自分の身体と向き合い、一生懸命整体に関して勉強しました。1年を迎える頃には頭痛の頻度も格段に減って、自分の症状を治せる確信がもてました。
平成11年(1999年) 7月に現在地の、大阪市福島区でけんこう堂をスタートさせていただきました。
開業後も、オステオパシーやカイロプラクティック。流派の違う整体法、足つぼそして合気道、介護動作などなど来院者様の症状を改善させるために有効だと思えるものを片っ端から学んできました。
以前ほど何から何までという訳ではありませんが、今でも必要と思うことは常に学びに行っており少しでも有用な情報を皆様に提供できるように日々精進しております。
この頃の体の状態は
整体院を開業して1年後、通勤中バイクで転倒してしまって、骨盤と背骨を骨折していまうという大事故を起こしてしまいました。集中治療室に入れられ、体にチューブやコードが付けられて、腰と骨盤の激痛と右脚の感覚がほとんどない状態が何日も続きました。
一生車イス生活になるかもしれない。と医者から言われましたが、リハビリを続けるうちに右脚の感覚も少しづつ戻ってきて自分なりのリハビリ方法を考えて試して、いわゆる自分の体を使った人体実験みたいなことをやっていました。
皮肉なことにこの大事故のお陰で事故や怪我からの日常生活に復帰するためのノウハウを確立することができました。これは現在、けんこう堂の施術の得意分野のひとつになっています。
“ 人は生まれながらにして
自らの不調を治す方法を知っている ”
こんな素晴らしい能力が全ての人に備わっている。
そのことを皆様自身の体で実感してもらうことのお手伝いをする。それが私の使命です。
今私ができることを一つずつ積み重ねて参りたいと思っております。
現在の体の状態は
けんこう堂独自の体操を続けているおかげで、ひどい肩こりや頭痛・腰痛は全くありません。人間は常に良い状態であることが健康ではありません。時には疲れ、痛み、時には風邪をひく。しかし、健康であれば薬など飲まずに休んでいれば自然と回復します。そしてとても早い。
そういう意味でいえば今現在の私の体の状態はとても良いと思います。
100歳まで現役の整体師で最期の日の前日まで施術をやっていたいというのが私の夢です。
この夢を語ると皆様に笑われるのですが、案外本気の夢なんです。
100歳まで毎日仕事をしてその日がきたらポックリ。お役目終了。最高だと思います。
新福島整体 けんこう堂